彼は必死に走っていた。
研究所から逃亡した相手が、まさかソルジャークラスファーストだなんて聞いていなかった。
あんなものに敵うわけがない。

あのソルジャーの相手をしていた仲間は、生きているだろうか?
…いいや、そんなことを気にする前に、逃げなくては。




An encounter "Before Crisis"- 覚悟を決めろ -



それは恐怖からの逃走本能。
ゆえに彼は気付かなかった。
否、気付けなかった。
すぐそばにまで近接してきていた気配に。

「…ッ!?」

不意に出現した気配に、彼は激しく動揺した。
気配は、なにもない場所から突然出現したように彼は感じた。

今まで何も居なかったはずなのに!

彼は気付かなかった自分を叱咤しながら、その気配を追った。
キラリ、と視界に輝くものが映る。

ナイフの刃だ…―――

そう思うと同時に、彼は戦闘体勢をとった。
が、暗闇の向こうの相手の目を見た瞬間に、体が震える。

魔晄の目…!
馬鹿な、あのソルジャーはまだ向こうに居るはず!

(見間違いだ…!)

それは、願いに近かった。
彼は絶望に似た心地で暗闇の向こうの相手と対峙する。
先ほどのクラスファーストのソルジャーを相手取ったときよりも、場は緊張が支配していた。
ごくり、と唾を飲み込んで、彼はようやく気付く。
相手がひどく慎重なことに。
ソルジャーが自分のような一般兵に、そこまで慎重になる意味がわからない。
彼は僅かに困惑しながらも、構えたマシンガンに手を掛けた。
半ば、どうにでもなれ、と投げやりな思考に至りながら。

カチ、

小さな音。
こちらの動きに気付いたのか、魔晄の目を持った相手が、地を蹴った。
彼は動揺を押さえ込みながら、相手に照準を合わせて撃っていく。

スガガガガッ!!

確かに照準は合わせているのに、銃弾があたるのは木々や落ちてくる葉ばかり。
彼は焦りながら数歩後退する。

シュッ!

刃が、凪いだ。

「―――ッ!」

彼は息を呑む。
刃は彼ではなく、とっさに彼が構えたマシンガンを斬っていた。
相手は僅かに、暗闇の中でも見える魔晄の目を歪ませると、彼から距離を置く。
バラ、と脆くもマシンガンが崩れる。
まるでおもちゃであったかのようなそのマシンガンの様子に彼は僅かに絶句し…そして腰に差していたナイフを手に取った。
二人は対峙し、同時に仕掛けた。
相手の動きに、目が追いつかない。
それどころか、相手の攻撃には何の気配もないのだ。
敵意も、殺意も。
どこか空恐ろしい感覚に襲われる。
その瞬間の隙をついて、相手の刃が彼のナイフを弾き、そのまま彼の首筋まで突っ切った。
刃が自分の首筋に潜り込む感触に、ヒュ、と彼の喉が鳴った。
彼は驚愕に目を見開いた。
いっそ化け物染みた相手の動きに、ではない。
間近に見た、魔晄の目の持ち主が、ただの少女であったことに、だ。

(ああ、なんてこった…―――)

彼は、心で呟く。
殺されるのは自分のほうなのに、まるで自分が殺されてしまうかのような顔で、少女はこちらを見ていた。
顔は青褪めて、今にも泣きそうな。

(サンプルサンプルって…俺らも随分酷い事してたんだな…。)

そんな泣きそうな表情なのに、少女は刃に篭る力を抜くことはなかった。
ぐ、と更に奥へと進む刃。
彼はびくりと体が痙攣するのを感じた。
同時に、少女もびくりと震えるのも。
ナイフの刃が自分を離れると同時に、少女の体も離れた。
崩れ落ちる自分の体をとどまらせる力も、もう出ない。
どくどくと、自分の命が流れ出すのを感じる。
少女は固まって、動かない。
彼はどうしようもない気持ちの中…少女に手を伸ばそうとして、そこで、力尽きた。









倒れこんだまま、動かない神羅兵を、何処か呆然としたままあたしは眺めていた。
最後に僅かに動いた腕は、何をつかもうと、していたのだろう。
けれどもう、動くことは無い。

「っ…。」

死んだ。
殺した。
殺してしまった。あたしが。
この、手で。

「っ…は、…ぅ…ッ」

唐突に吐き気がこみ上げてきて、あたしはその場にしゃがみこんだ。
ナイフを持っていないほうの手を地面につき、荒く呼吸をする。

「う、ぐ…ッうぅ…―――っ」

こみ上げてくる吐き気を堪えながら、ぼろぼろと涙が頬を流れ落ちた。
気持ち悪い。

「うぇ…っひ、っく…うぅっ」

頭の中がぐるぐるする。
気持ち悪い。
嫌だ、こんな、こんな気持ち。
あたしが殺したのは確かに人間だったのに。
あたしはそれを気持ち悪いと思うなんて。

「は…っ、う、や、だよぅ…っ」

戦う術を請うたのはあたし自身なのに。
逃げ出してしまいたくなる。
こんなのはやだ。
こんなのは、いや。

ちがう、だめ。
逃げ出したら、いけない。

でも足が竦んで動けない。
怖くて怖くて仕方がないの。

殺した、と、思い出すだけで体が震える。
しゃがみこんだまま震えるあたしの頭に、ふわり、とだれかの手が触れた。

「っ…!」

あたしはびくりと肩を震わせる。
気配を探るけれど、誰かがいる様子はない。
その手は、まるで壊れ物にでも触れるかのようにあたしの頭を数回撫でると、唐突に離れた。
角張った感じの、大きな男の人の手、だった。
あたしは恐る恐る後ろを振り返る。
誰も、居なかった。

「幻、覚…?」

あたしは困惑しながら、ふと、涙が止まっていることに気付いた。
我ながら現金なものだ。
再び後ろを振り返る。つまり、死体のほう。

「…っ」

倒れた身体は、もうぴくりとも動かない。
あたしは顔を歪め、再び泣きそうになっていることに気付いて堪える。
ごめんなさい、と言葉を紡ごうと、口が動く。
でも、それはなんだか違う気がした。
だってそれは、自己満足の言葉のような気がして。

ああ、そっか…。
人を殺すってことは、どんな理由であれ、その人の命を背負わなくちゃいけないんだ…。
相手がたとえ何者であっても、それは変わらない。

あたしはただ目を瞑って、黙祷を捧げると、その場から歩き出した。









相手を殺す覚悟も、自分が死ぬ覚悟もきっと、あたしには出来ない。
もしかしたら、今後は出来るようになるかもしれない。ならないかもしれない。
でもそれなら、今、あたしは生きる覚悟をしたい。











…え、えぐくて重くてすみません…っ!!(土下座)
でも普通、人殺したら吐くと思うんですよ…吐くまではいかなかったですけど。
Awaking〜では普通の反応だったという点もあり、どうしてもこの回は書きたかったんです。
神羅兵、最初は仲間見捨てて逃げる自己中な人、の予定だったんですが、書いていくうちになんだか普通の善良めな一般人に落ち着きました。良くも悪くも、一般人の思考。
最後のほうに出てきた人の手は、誰だったのかわからないまま、次に進みますー。(まて)

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